三菱航空機株式会社MRJ(リージョナル・ジェット)チーフエンジニア岸 信夫(54歳)“ニッポンの翼”復活【夢の扉+】2013年4月7日: 「夢の扉」+産業科学などの情報ブログ。

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三菱航空機株式会社MRJ(リージョナル・ジェット)チーフエンジニア岸 信夫(54歳)“ニッポンの翼”復活【夢の扉+】2013年4月7日


 三菱重工業(Mitsubishi Heavy Industries)子会社の三菱航空機(Mitsubishi Aircraft)は2日、開発中の国産初の小型ジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(Mitsubishi Regional Jet、MRJ)」について、米国の地域航空会社から100機受注したと発表した。
 発注元は米ミズーリ(Missouri)州のトランス・ステーツ・ホールディングス(Trans States Holdings、TSH)で、確定50機、オプション50機の覚え書きを締結した。納入は2014年からの予定。
 これまでMRJの受注は、全日本空輸(All Nippon Airways、ANA)からの25機のみだった。
 TSTは地域航空会社のトランスステーツ航空(Trans States Airlines)とゴージェット航空(GoJet Airlines)を運営し、米航空大手ユナイテッド航空(United Airlines)とUSエアウェイズ(US Airways)のローカル路線も受託運航している。

夢の扉+
http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/
2013年4月7日(日) 18時30分〜19時00分
三菱航空機株式会社 MRJチーフエンジニア 岸 信夫(54歳)
戦前の日本は、英米とともに航空機のレベルは世界の最先端を行っていた。
「ゼロ戦」のエンジンは、三菱重工でも作っていた。
しかし、戦後、日本は勝利した連合国から航空機の製造を禁止されてしまう。
その禁が解かれた後、国産初のプロペラ旅客機「YS-11」を製造した。
しかし、「YS-11」は、無事に就航したが、経営戦略が失敗してしまい、赤字に終始する。
その結果、わずか182機の製造で終わってしまう。
なお、旅客機としての「YS-11」の就航は、日本では数年前に終了しているが、現在でも航空自衛隊で輸送機として現役でがんばっている。
世界では、数機がプラーベート飛行機として、未だ現役で空を飛んでいる。
以来、欧米メーカーの下請けに甘んじてきた日本。
『もう一度、日の丸旅客機を飛ばしたい!』“ニッポンの翼”復活をかけた、国産初のジェット旅客機、通称「MRJ」の開発が進められている。このプロジェクトに関わる設計エンジニアは、600人!彼らを束ねるのが、開発チーフエンジニアの岸信夫、54歳。
MRJの武器は、「燃費性能」。4年間に及ぶ研究・試験を経て空気抵抗を極限まで減らすことに成功。
次世代型の最新エンジンを組み込み、既存機より、燃費効率20%アップを実現した。
また、何十万個という鋲を、“ミクロン単位の手作業”で打ち付けるなど、細部にまで日本ならではのキメ細やかな技が注がれている。
今年、大空へと飛立つMRJ。日本のモノづくりのプライドを懸けて世界市場へ挑む、熱い闘いの舞台裏を追う。

TBS「夢の扉+」4月7日 #97「日の丸ジェットを世界の空へ!」

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